東京高等裁判所 平成11年(行コ)80号 判決
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一控訴の趣旨
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人が、控訴人に対し、平成四年四月九日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を全部支給しないとする処分を取り消す。
三 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
第二事案の概要
本件事案の概要は、一のとおり原判決を補正し、二のとおり当審における控訴人の主張を付加するほか、原判決「事実及び理由」の「第二 事案の概要」に記載のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決の補正
1 原判決五頁四行目の「このうち」から同八行目の「もあった。」までを「このうち、炉の補修をする炉修作業は、ガラスや鉄を溶かす炉を停止させ(停止しない場合は外から補修する。)、釜の中に入って古くなった炉を壊し新しい煉瓦を積み上げていく作業であり、中に入る場合は少なくとも一日、通常は二日程度炉を停止させてから作業を行うが、それでも中の温度が高いことから、五、六人が一○分交替(炉が暑い場合は五分交替)で作業を行うことになる。」に、同九行目の「甲一三、」を「甲六の1、2、一一、一三、二四、」にそれぞれ訂正し、同六頁一行目末尾の「主任になった。」の次に「(甲二四、四七、控訴人本人)」を、同七頁五行目の「されていた」の次に「。」をそれぞれ加え、同五行目末尾の「。」を、同九行目冒頭の「また、」から同一一行目末尾の「っていた。」までをそれぞれ削除し、同八頁三行目末尾の「出掛けていた。」の次に「(乙一四)」を加え、同九行目の「あたっていた」を「当たっていた」に訂正し、同一〇頁四行目の「三六」の前に「三〇、三三、」を、同一一頁四行目の「乙二二」の次に「の2」をそれぞれ加え、同一一行目の「二四日」を「一九日」に訂正し、同一二頁一行目の「決定をした。」の次に「(乙五)」を加え、同三行目の「二八日」を「二七日」に、同四行目の「決定をした。」を「裁決をした。(乙六)」にそれぞれ訂正する。
2 原判決一二頁六行目から七行目にかけての「明かな」を「明らかな」に、同一八頁二行目の「一月間に」を「月に」にそれぞれ訂正し、同三行目の「ないし」の次の「、」を削除し、同二八頁九行目から一〇行目にかけての「B指名で受注された」を「受注に際しBが作業を担当するよう指名された」に、同二九頁六行目から七行目の「さらに変動をさせ」を「更に変動させ」にそれぞれ訂正し、同三八頁二行目末尾の「ものではない。」の前に「った」を、同四四頁八行目冒頭の「脳動脈瘤」の前に「控訴人は、Bの場合、一月二八日には脳動脈瘤からの小出血(第二グル一プ)を発症していたと主張するが、」をそれぞれ加え、同四五頁五行目冒頭の「(一)原告は」から同四六頁四行目冒頭の「(二)また、」までを、同九行目の「(三)」を、同九行目の「いずれも」を、同四七頁二行目の「有力な原因と」の次の「は」をそれぞれ削除する。
二 当審における控訴人の主張
1 Bの労働の特徴
(一) 全体的特徴
(1) Bの休日の取得状況は、昭和六二年が三三日、昭和六三年が四五日であり、単純に一か月で平均しても二・八日ないし三・八日という驚くべき状況であった。しかも、その少ない休暇さえ、仕事先の都合で突然休みになったにすぎないものがかなりの割合を占め、反対に、現場の仕事の切れ目で休暇が予定されていても、突然訴外会社から別の現場の仕事を命ぜられるなど、文字どおり働ぎづめの状態であった。
(2) 炉を一時停止させて釜の中で煉瓦を積み上げる炉修作業は、中が非常に高熱であり、Bらは、塩をなめながら五、六人で一〇分交替に作業をせざるを得ない状況であったところ、現場は、八戸等東北地方や臨海地方が多く、厳寒地での作業が多かったことから、高熱の釜の中と外気との温度差が極めて大きく、非常な肉体的負担になった。殊に、血圧に対する影響は顕著なものがあった。
(3) Bの業務は、出張が非常に多く、頻繁な移動と外泊を繰り返した。すなわち、昭和六三年の出張は一一一日、平成元年一月(昭和六四年一月一日から七日までも「平成元年」に含めて表示する。以下同じ。)だけでも一三日も出張していたため、十分な疲労回復ができなかった。
(二) 発症前の昭和六三年一二月と平成元年一月の労働実態
一二月は、大晦日を含めて実際に休みが取れたのは一日もなく、一月も、元旦と一三日、二八日しか休みが取れず、また、この二か月間のうち、高熱下の炉修作業は合計二〇日、出張も一二月は一四日、一月は一三日であった。
(三) 発症直前の突発的出来事
Bは、平成元年一月一五日から二七日まで、X電線豊浦工場において出張作業をしたが、この仕事は、注文先がBを指名して築炉新設工事を頼んできたもので、Bが責任者であり、訴外会社の年間の売上の約三分の一を占めることから、Bの責任は大きく、工期に間に合うよう強く依頼されていた。ところが、一月二七日にBが現場に戻ると、それまでに命じておいた仕事を部下がしていないことが判明し、鋳物屋の段取りがつかず、予定していた作業が一月末ころまでできなくなり、工期に間に合わせることができない事態になった。このことがBにとって限りなく大きな負担だったことは、一月二七日の夜、帰宅するなり、「赤字を出せばクビだ。」などと言って暴れ出したことからも明らかである。
(四) 警告症状
Bには、平成元年一月二八日の朝以降、明らかに頭痛、嘔吐、全身倦怠、視力障害、首の凝り、意識喪失等のくも膜下出血の警告症状が現れていた。
(五) 花壇の煉瓦積み作業
Bは、右のような警告症状が現れており、一刻も早く医者に診せるべき状況の中で、訴外会社から言われ、花壇の煉瓦積みの作業に従事した。この作業は、相当な量の煉瓦を一輪車で移動したり、四〇キログラムの重いセメント袋を移動したりするから、かなりの力を要する仕事であった。また、煉瓦積み作業は、立ったり座ったり前屈みになったりという動作を反復する作業で、頭蓋内圧を変動させるものである。加えて、発症当日の平成元年二月一日の気温は四度であり、本件現場は、山の上にあり、池の側で、かつ、吹き曝しの場所だった。しかも、当日は、作業途中から雨が降り出し、Bの体温を奪う状況であったから、このような作業環境が、Bの血圧を上昇させたものと考えられる。
2 医学的知見と本件疾病
Bの本件疾病は、右側頭葉からシルビウス氏溝に係るくも膜下出血であり、その原因は、中大脳動脈瘤の破裂である。脳動脈瘤は、先天的な要因よりも、動脈壁の後天的変性による肉弾性板の破壊と血行力学的ストレスによって形成されるとする考えが重視されるようになってきており、また、脳動脈瘤の破裂は、全身血圧を上昇させる労作や感情の興奮、疲労の蓄積や心身消耗状態などが強力な誘因になるとされている。
Bは、本件において、平成元年二月一日の発症以前の一月二八日に、くも膜下出血の警告症状である脳動脈瘤の小出血(マイナーリーク)を起している。ところが、Bは、小出血を発症した一月二八日、「午前中に社長の奥さんから電話があって、市川の赤煉瓦積みに行ってくれと言われた。」「Bちゃんでなければダメと言われた。」などの事情から、体調不良であるにもかかわらず、翌二九日からの花壇の煉瓦積み作業に従事したのである。Bは、発症前日の一月三一日及び発症当日の朝、控訴人から休んで病院に行こうと言われたにもかかわらず、業務命令により仕事を優先したものであり、煉瓦積みの作業を行わずに適切な治療を受けていれば、健康を回復していた蓋然性は極めて高かった。このような体調不良状態でも業務を継続せざるを得なかったことが、本件疾病の発症につながってしまったのであるから、小出血後の業務の継続がBの発症の重大な原因であり、本件における業務起因性は明白といわなければならない。
3 結論
Bは、極めて休日が少なく、しかも、高熱作業と宿泊を伴う長期出張の多い業務に従事したため、徐々に蓄積した疲労を回復することができなくなり、発症の一年ほど前ころから血圧も正常値から境界域に上昇するようになっていた。このような中、Bは、昭和六三年一二月から平成元年一月にかけて、高熱作業(第一セメント川崎工場など)を伴う業務に従事し、しかも、平成元年一月一五日から二七日まで出張したX電線豊浦工場の築炉新設工事は、受注金額も高額で会社の命運を左右しかねない、Bにとってかつて経験したこともないほどの責任とプレッシャーのかかる仕事であり、納期を厳格に決められ、訴外会社からも早期に仕上げるようせかされていたが、部下が思うように働いてくれず、訴外会社の社長ともトラブルを起こし、相当な精神的負荷(ストレス)を受けていたものである。Bは、その翌日である一月二八日、くも膜下出血の小出血を発症しているが、これは業務による疲労とかつてないストレスによるものであって、この小出血自体業務に起因するものといえる。しかも、Bは、小出血後も、休むことや病院に受診することも許されず、公園の花壇の煉瓦積み作業に従事させられた。これは、普段の業務に比べ肉体的負荷が大きく、立ったりしゃがんだりの姿勢を繰り返す頭蓋内圧の変動の多い仕事であり、二月の寒冷下、山上の寒風吹きすさぶ屋外での業務であり、既に小出血を発症し、肉体的・精神的に疲労こんぱいの状態にあったBにとっては、極めて過重なものであった。この業務が最後の引き金となって本格的に本件疾病が発症するに至ったのである。
したがって、本件疾病の発症が業務に起因することは明らかである。
第三当裁判所の判断
当裁判所は、本件全資料を検討した結果、被控訴人の請求は理由がないから棄却すべきものと判断する。その理由は、以下のとおりである。
一 Bの稼働状況等に関する事実関係
証拠(甲二、四、五、六の1、2、一三ないし一七、二〇ないし二二、二六、三〇、三五、三六、四七ないし四九、五七ないし六一、八二、乙六、一一、一二、一四、一六、一八、二三、二八、三〇、控訴人本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。
1 Bの昭和六三年一月一日から同年一一月三〇日までの稼働状況
Bが死亡する一年以上前である昭和六三年一月一日から二か月前の同年一一月三〇日までの稼働状況は、別紙2のとおりである。
(一) 宿泊を伴う出張は、一月が一八日(土浦、富士ファイバー関係の出張)、二月が一五日(八戸への出張)、四月が二日(土浦への出張)、五月が一六日(日本板硝子関係の出張)、六月が八日(新潟への出張)、八月が一四日(新潟、土浦への出張)、九月が四日(土浦への出張)、一○月が一三日(八戸への出張)、一一月が七日(土浦への出張)である(合計九七日)。
(二) また、就業規則上の休日を含め、Bが休暇を取った日数は、一月が四日、二月が七日、三月が七日、四月が一日、五月が三日、六月が四日、七月が九日、八月が六日、九月が三日、一○月が二日、一一月が一日である(合計四七日)。なお、Bは、出張の前日に訴外会社の倉庫に行き、出張先で使用する工具等を自動車に積み込むなどの準備をすることが多かった。この作業自体の時間は、三〇分から二時間程度だったが、出勤日に算入されていた。
(三) 訴外会社は、Bに対し、時間外手当として、一月は四〇時間分、二月は二六時間分、三月は一二時間分、四月は二七時間分、五月は五〇時間分、六月は三〇時間分、七月は一八時間分、八月は五一時間分、九月は二〇時間分、一〇月は二七時間分、一一月は二三時間分を支払っている。しかし、Bは、夜勤はしていない。
2 Bの昭和六三年一二月一日から平成元年一月二四日までの稼働状況
Bが死亡する二か月前である昭和六三年一二月一日から一週間前である平成元年一月二四日までの稼働状況は、別紙3のとおりである。
(一) 宿泊を伴う出張は、一二月が一四日(土浦、八戸への出張)、一月が一〇日(日立への出張。ただし、二四日まで)である。
(二) 就業規則上の休日を含め、Bが休暇を取った日数は、一二月が二日、一月二四日までの一月中が二日であった。Bは、一二月二二日の休暇に定期健康診断を受け、水虫等の治療のため病院に行き、一月一三日の休暇も水虫の治療のため病院に行った。
これに対し、控訴人は、Bは一二月二三日に仕事で「日立北」へ行っており、この日は休暇を取っていなかったと主張し、証拠(甲五、一五、一八、控訴人本人)によれば、Bの手帳の同日欄には「日立北」との記載があること、Bは同日付けのガソリンスタンドの納品書を所持していたこと、訴外会社が当初控訴人に提出したBの出勤簿には、同日は出勤と記載されていることが認められる。しかし、証拠(甲一三、一八、五七)によれば、右二三日付け納品書の宛名に印字はなく、メンバーの記号が「0011」となっているのに対し、他の日付の納品書には宛名が訴外会社と印字され、メンバーの記号も「0008」となっていることからすると、B以外の者が一二月二三日に右の納品書の発行を受けた可能性が高いこと、Bの一二月の出勤日数は、給与明細によれば二九日とされていることからすると、休暇がもう一日あったと見るのが合理的であること、訴外会社が労働保険審査会に提出した出勤簿によれば、二三日は有給休暇となっていることが認められる。以上の認定を総合すると、Bは、一二月二三日に有給休暇を取ったと推認するのが相当である。
(三) 一二月一二日の出勤は、Bが出張先で使用する工具等を自動車に乗せるなど準備のためにのみ訴外会社の倉庫に出向いたものである。また、Bは、一月一四日の午前中、翌日からのX電線豊浦工場への出張の準備のため訴外会社の倉庫に出向き、午後からは川崎大師に安全祈願に行った。
(四) Bは、一月二日から一二日まで第一セメント川崎工場で作業をしたが、自宅を出て午前八時ころ現場に行き、正規の勤務時間は午後五時までであるが、概ね一時間残業して午後六時ころまで作業を続け(昼休みは午前一二時から六〇分、午前一〇時と午後三時に一五分の休みがあった。)、終了後は訴外会社に寄らずに帰宅した。ここでの作業の内容は、キルンと予熱機の中の炉を壊して新しい煉瓦を積む炉修作業であり、最初に炉を壊す時点では中がまだ暑いため、二人一組のグループを三組作り、概ね一〇分(暑い時は五分)交替でキルンと予熱機の中に入り、炉を壊し、その後、新しい煉瓦を積むというものである。
(五) X電線豊浦工場での作業は、シャフト炉と保持炉の新設工事(屋内作業)であった。Bは、一月一五日午前八時ころ、自らトラックを運転して訴外会社を出発し、正午ころ現場に到着したが、当日は仕事はしなかった。翌一六日は、午前中に段取り、安全教育の講習を受け、午後から作業の細かい打ち合わせを行い、実際に作業に入ったのは翌一七日からであった。そこでの作業の時間は、午前八時三〇分から午後四時三〇分までで、休憩は午前と午後に一五分ずつ、昼休みが一二時から四五分間であった(なお、現場を出るのが午後五時であったことから、訴外会社は、時間外手当を一時間付けていた。)。
ちなみに、訴外会社での宿泊を伴う出張業務においては、右のように、最初の一日目は異動日に充て、二日目は安全教育を受けた上、作業について細かい段取りを行うなどして終わり、実際に作業を行うのは三日目からであった。
(六) 訴外会社は、Bに対し、時間外手当として、一二月は二三時間分、一月は三〇時間分を支払っている。なお、Bは、一二月三一日、深夜動務は手当が二倍になるので、一月二日からの第一セメント川崎工場の作業で夜勤を希望したところ、これを渋った訴外会社との間でトラブルを起こし、泥酔して帰宅した。結局、訴外会社は、右の作業において、Bが昼間の勤務であっても特別に夜勤扱いにすることとした(したがって、Bは、夜勤をしていない。)。
3 平成元年一月二五日から二月一日までのBの稼働及び生活状況
(一) 一月二五日
Bは、午前八時三〇分から昼ころまで、X電線豊浦工場のシャフト炉の煉瓦積み作業に従事していたが、午後は翌日の東邦炉材の担当者と打ち合わせをするため右豊浦工場を出発し、遅くとも午後七時三〇分ころには帰宅しており、日本酒を一合ほど飲んで就寝した。
(二) 一月二六日
Bは、元請の東邦炉材の担当者と、X電線豊浦工場の現場で使用する材料を打ち合わせるため、午前七時ころ自宅を出てJR総武線津田沼駅に行った。そして、Y炉材の担当者と打ち合わせを終えた後、午後四時ころ帰宅し、一時間ほどコタツで眠った。そして、午後五時ころ、仕事で使用するヤッケと軍手を買いに出かけ、その後、日本酒をコップで三杯ほど飲んで早めに床についた。
(三) 一月二七日
Bは、X電線豊浦工場に行くため、午前六時ころ自宅を出たが、現場到着後、保持炉に使用するモーターが納入されていなかったため、仕事が中止になり、ここでの仕事が二月一日までなくなったことから、昼ころには他の同僚とともに訴外会社に戻った。ところが、訴外会社の上司から工期について苦情を言われ、午後七時三〇分ころ、飲酒し泥酔した状態で、同僚に送られて帰宅した。帰宅後、部屋に入るなり、「俺ばかり苦労する。」、「赤字が出ればクビだ。」などと言って控訴人と喧嘩し、物を投げるなどして暴れた。その上、下着姿で戸外に出て行ってしまい、約一時間ほど室内に入ろうとしなかった。
(四) 一月二八日
Bは、仕事を休み、朝食も摂らず、頭が痛い、疲れたと言って午前中は寝ており、控訴人が用意した昼食も摂らず過ごしていた。午後になっても頭痛がすると言ってバッファリンを飲んだが、しばらくして嘔吐してしまった。心配した控訴人が、「今度仕事が始まる日まで少しは休めるんでしょうね。」と聞くと、「午前中に社長の奥さんから電話があって、市川の赤煉瓦積みに行ってくれと言われた。」と答え、控訴人が仕事を断ることを勧めても、「Bちゃんでなければダメと言われた。」と答えるのみであった。
(五) 一月二九日
Bは、午前六時四〇分ころ自宅を出、午前七時ころ車で訴外会社の寮を出発し、午前八時ころ本件現場に到着し、現場監督と三〇分程度打ち合わせをした上で作業を開始し、午後三時ころには作業を終え、掃除等をした後、午後三時三〇分ころには本件現場を出発し、午後五時三〇分ころ訴外会社に戻り、午後六時ころ自宅に帰った。その後、娘とトランプをしたが、午後八時か九時ころ、トランプを持ったまま寝てしまった。
(六) 一月三〇日
Bは、午前六時四〇分ころ自宅を出、午前七時ころ車で訴外会社の寮を出発し、午前八時ころに本件現場に到着して作業を開始し、午後三時ころには作業を終え、午後三時三〇分ころには本件現場を出発し、午後五時三〇分ころ訴外会社に戻った。この日は給料日で、訴外会社において酒が振る舞われたが、Bは、ビールを一杯だけ飲み、午後七時ころ帰宅し、午後八時ころには就寝した。
(七) 一月三一日
Bは、午前六時四〇分ころ自宅を出、午前七時ころ車で訴外会社の寮を出発し、午前八時ころに本件現場に到着して作業を開始し、午後三時ころには作業を終え、午後三時三〇分ころには本件現場を出発し、午後五時三〇分ころ訴外会社に戻った。Bは、午後六時ころ帰宅し、出張先での経費明細を作成していたが、目が急にかすむと言うので、控訴人がこれを代わって作成した。控訴人は、Bが、目がよく見えない、首が凝っていると言っていたことから、「明日は休んで病院に行こう。」と説得したが、「俺が行かなければ。」と言って聞き入れなかった。Bは、その後、晩酌をしたが、酒がおいしくないと言って、コップの酒を半分くらい残し、午後九時ころ就寝した。
(八) 二月一日
Bは、起床後、朝食がおいしくないと言って少ししか食べず、ため息ばかりついて顔色が悪く、トイレに入ると、水洗の棒につかまったまま寝てしまっていた。そこで、控訴人が「休んで病院に行こう。」と言ったが、Bは、「しつこいよ。疲れているだけだ。」、「俺が行かなければ。」と言って、午前六時四〇分ころ自宅を出、午前七時ころ車で訴外会社の寮を出発し、午前八時ころ本件現場に到着して作業を開始した。その後の本件疾病の発症状況は、前記第二、一3(二)のとおりである。
4 Bの健康状態、嗜好等
(一) Bの昭和六三年一二月当時の身長は一六〇・一センチメートル、体重は五五・五キログラムであった。
(二) 昭和六三年一二月二二日の訴外会社の一般健康診断では、Bは、自覚症状・他覚症状のいずれも「異常なし」とされ、医師の指示欄にも「異常なし」と記載されている。
(三) Bの訴外会社入社以来の血圧値の推移は、次のとおりである(単位はmmHg。以下同じ。)。
(1) 昭和四八年一一月二九日 最大一二四 最小六八
(2) 昭和五一年一○月三〇日 最大一二二 最小七六
(3) 昭和五三年一二月一五日 最大一二四 最小六四
(4) 昭和五五年一二月五日 最大一三四 最小七〇
(5) 昭和五八年六月一日 最大一二〇 最小七〇
(6) 昭和六二年七月一五日 最大一二○ 最小八〇
(7) 昭和六三年七月一四日 最大一四〇 最小八〇
(8) 昭和六三年七月二三日 最大一五〇 最小八六
(9) 昭和六三年一二月二二日 最大一五〇 最小九〇
なお、WHOのテクニカルレポートに示された血圧値の分類によれば、最大血圧が一六〇以上、又は、最小血圧が九五以上の場合は高血圧とされ、最大血圧が一四〇以下、かつ、最小血圧が九〇以下の場合は正常血圧とされ、高血圧と正常血圧との中間の値を境界域高血圧というが、本件疾病発症前のBの診断結果は、境界域高血圧である。
なお、Bは、自宅でも出張先でも、仕事が終わった後、それほど多くはないが飲酒を続けており、また、一日一箱程度喫煙をしていた。
二 本件疾病の発症・増悪と業務との因果関係
1 本件疾病の成因
(一) 証拠(甲二、五六、七七、乙一九の2、二〇の3、二七の2、証人元岡和彦)によれば、Bの死亡原因は、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血、すなわち、中大脳動脈瘤の破裂を原因とする右側頭部からシルビウス溝に係るくも膜下出血(本件疾病)であることが認められる。
(二) そして、証拠(甲五〇ないし五四、五六、六五ないし六七、七一ないし七六、七八ないし八一、乙二六、三二、三三、三五)及び弁論の全趣旨によれば、本件疾病の成因について、以下の事実が認められる。
(1) 脳動脈瘤とは、頭蓋内動脈の壁が瘤状に拡大したものをいうところ、その成因については、従来、動脈瘤は先天的な中膜欠損を原因として発生するとする先天性説、脳血管の変性、動脈硬化などが主因であるとする後天性説、中膜欠損、動脈硬化及び高血圧症などが重要な要因であるとする両者合併説などが主張されてきたが、現在では、臨床例、動物実験などを踏まえ、動脈瘤は、血管壁の先天的な構造異常のみならず、加齢やその他の病態による血管壁の脆弱化、血圧上昇等の血行力学的な要因も加わって形成されるのではないかと考えられるようになりつつある。精神的ストレス及び身体的ストレスが、人の血管壁の脆弱化及び血圧上昇等の血行力学的要因にどのような影響を与えるかについては、種々の見解があるが、医学的には、緊張、興奮時には血圧の上昇、心拍数の増大等が招来されることが定説になっており、強度のストレスが一過性の血圧上昇をもたらし、血管の収縮を引き起こすことは、一般に承認されている。また、疫学的には、動物実験や過大なストレスにさらされている人について動脈硬化性疾患が高率に発生している等の事例が紹介されており、脳動脈瘤が、動脈壁の後天的変性による肉弾性板の破壊と血行力学的ストレスによって形成されるという見解も唱えられるようになっている。
(2) 脳動脈瘤破裂の患者五六七名についての調査結果によれば、「談笑、テレビ鑑賞、自宅でくつろぎ中」が九一例(一六パーセント)、「排尿、排便時」が七九例(一三・九パーセント)、「家事・仕事時」が六五例(一一・五パーセント)、「食事、飲酒」が六一例(一〇・八パーセント)、「入浴」が四四例(七・八パーセント)、「買い物、旅行、外出中」が四一例(七・二パーセント)、「就寝中」が三四例(六パーセント)、「起床時、洗面、着替え時」が三一例(五・五パーセント)、「車運転中」が一○例(一・八パーセント)、「運動、スポ一ツ時」が一〇例(一・八パーセント)、「性行為時」が八例(一・四パーセント)、「その他」が二七例(四・八パーセント)、「不明」が二〇例(三・五パーセント)と報告されているが、一九六六年のロックスレイの報告では、「睡眠中」が三六パーセント、「特別なにもしないとき」が三二パーセント、「挙上、うつ向き」が一二パーセント、「興奮時」が四・四パーセント、「排便中」が四・三パーセント、「性交中」が三・八パーセントとされている。このように、就寝中など特別な外的ストレスがなくても脳動脈瘤破裂を起こす場合も多いが、人の通常の生活の中で比較的短い時間内に行われる排便等、家事・仕事、入浴、運動、車の運転、性行為など、血圧の変動を伴う活動時に、脳動脈瘤の破裂が少なからぬ割合で発症している。
(三) 現時点において、脳動脈瘤とストレスとの医学的関連性が解明されているわけではないし、また、一般に、脳動脈瘤は、血流及び血管内圧によって、動脈瘤の壁の脆弱性との均衡が崩れたときに破裂するといわれているが、そのメカニズムも、医学的に解明されているわけではない。したがって、ストレスを脳動脈瘤破裂の決定的要因と見ることができないことは明らかであるが、前記(一)で認定した事実からすると、精神的・肉体的な負荷となるストレスが極めて過大なものであれば、血圧の上昇や血管の収縮をもたらし、脳動脈瘤の発症又は増悪をもたらすことがあり得ると推認するのが相当である。
2 因果関係の判断
労災保険法一二条の八第二項は、業務災害に関する保険給付(遺族補償給付、葬祭料等)は、労基法七五条ないし七七条、七九条及び八〇条所定の災害補償の事由が生じた場合に行う旨規定し、労基法七九条及び八○条は、遺族補償及び葬祭料の支給要件として、「労働者が業務上死亡した場合」と規定しているところ、右にいう「労働者が業務上死亡した場合」とは、労働者が業務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、したがって右負傷又は疾病と業務との間に相当因果関係があることが必要である。
これを本件のような脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血についてみるに、このような脳・心疾患の多くは、業務とは無関係に身体的素因から発症する可能性も高く、当該労働者の先天的ないし後天的素因、基礎疾病、生活習慣等の要因と業務とが複雑に絡み合って発症に至る場合が多いから、これが業務遂行中に発症したからといって直ちに業務に起因するものとは言い難く、右のように、その発症と業務との間に相当因果関係があると認められることが必要である。そして、労災補償制度が、業務に内在又は随伴する危険が現実化した場合にそれによって労働者に発生した損失を補償するものであることからすると、相当因果関係がある場合とは、当該疾病が、当該業務に内在する又は通常随伴する危険が現実化したと評価することができる場合をいうと解すべきである。
また、右の相当因果関係を判断するに当たっては、業務が疾病発症の唯一かつ直接の原因である必要はなく、労働者に疾病の基礎疾患があり、その基礎疾患も原因となって疾病を発症した場合も含まれるが、右のような労災補償制度の趣旨からすると、労働者が基礎疾患を有する場合には、当該業務が死亡の原因となった疾病に対し、他の原因と比較して相対的に有力な原因になっていることが必要であって、労働者の業務の内容、環境、量などの稼働状況や基礎疾患の病態、程度などを総合し、単に業務が発症の誘因ないしきっかけとなったにすぎないような場合は、業務と疾病の発症との間に相当因果関係があるということはできないが、業務の遂行が基礎疾患をその自然的経過を超えて増悪させたと認められる場合には、当該業務の遂行が死亡の結果に対し相対的に有力な原因になっているとして相当因果関係があると判断するのが相当である。
したがって、本件においては、業務の遂行に伴ってBに生じた精神的・肉体的に過重な負荷が、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の発症をもたらしたと認められる場合、あるいは、Bが基礎疾患を有するとして、右の業務の遂行がその自然的経過を超えて増悪させたと認められる場合には、Bの死亡と業務の間の相当因果関係を肯定すべきである。
3 本件疾病と業務との因果関係に対する医師の意見
Bの本件疾病と業務との因果関係に関する医師の意見は以下のとおりであるが、Bの脳動脈瘤破裂と業務との関連性の有無については見解が分かれており、また、これを肯定する意見についてもニュアンスの相違が見られる。
(一) 船橋市立医療センターの脳神経外科医師金弘は、Bの場合、<1>平成元年一二月二二日の健康診断での血圧が一五〇/九〇であり、昭和六二年七月一五日の血圧一二〇/八〇に比べ上昇し、高血圧症の範囲に入っていること、<2>発症当日が二月の厳冬期、かつ、雨天の寒冷環境であったこと、<3>作業が煉瓦積みというしゃがみ込んだ状態と立ち上がる動作を繰り返す、いわば排便時と同様頭蓋内圧を変動させやすいものであったことなどから、作業内容、作業環境が脳動脈瘤破裂の大きな要因であったことが推定されるとの意見を述べている(甲五六)。また、同医師は、被控訴人に対する意見書の中で、業務による血圧の上昇が動脈瘤破裂の誘因の一つになる可能性はあると考えると述べている(乙一九の2)。
(二) 千葉労働基準局地方労災医院協議会座長田那村保は、被控訴人に対する意見書の中で、提出された資料を基に協議したところ、Bのくも膜下出血は脳動脈瘤破裂によるものと医学的に判断されるものであり、業務遂行中に発症したものではあるが、業務による過重負荷があったとは考え難く、業務に起因して発症したくも膜下出血とは認められぬものと判断すると述べている(乙二七の2)。
(三) 千葉労災病院脳神経外科部長渡邉攻は、千葉労働基準局長に対する意見書の中で、提出された資料から判断する限り、本件のくも膜下出血は、臨床医学的に見る限り、通常の脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血であり、医学的にその動脈瘤の発生、破裂に至った原因、誘因を特定できるものではないと述べている(乙三三)。
(四) 北多摩中央医療生活協同組合みなみうら生協診療所所長の元岡和彦(以下「元岡医師」という。)は、弁護士影山秀人の鑑定依頼書(甲六八)に対する平成一一年八月三〇日付け鑑定意見書(甲六九)において、くも膜下出血は小出血(マイナーリーク)による症状(警告症状)を伴うことがあるとした上で、Bの平成元年一月二八日の頭痛、嘔吐はいずれも小出血による症状だった可能性がある、十分な休暇や睡眠の取れない状況は高血圧を悪化させ、寒冷地での作業も高血圧を悪化させる、Bの場合、平成元年一月は三日間しか休暇が取れず、一三日間の連続出張業務も行い、極度の疲労状態にあったと推定され、このような状態で、寒冷下、雨に濡れながら、頭蓋内圧を変動させやすいしゃがみ込みと立ち上がりを繰り返す業務に従事したことがくも膜下出血(脳動脈瘤破裂)の誘因になった可能性は高いと考えられると述べている。加えて、元岡医師は、当審における尋問において、前記鑑定意見書のくも膜下出血の警告症状の機序につき、小出血しか記載しなかったのは不十分であり、脳動脈瘤の増大もあること、一月三一日の目がみえにくい、首が凝るとのBの訴えは、控訴人から事情を聴いた結果、小出血による症状だったと考えられること、Bの業務と本件疾病の発症との関連性は十分にあると考えられることなどを証言している。
三 本件疾病の業務起因性の検討
Bは、昭和六二年七月一五日に受けた健康診断のときは、血圧が最大一二○、最小八〇と正常血圧であったが、昭和六三年七月一四日には、最大一四〇、最小八〇に、同月二三日には、最大一五〇、最小八六になり、本件疾病の発症前二か月内の同年一二月二二日には、最大一五〇、最小九〇と境界域高血圧の状態になっているところ、健康診断の結果からは、Bに本件疾病の発症の原因となるような身体的異常を見いだすことはできない。また、本件疾病の発症の直前に、外傷を伴う事故など明確な異常事態の発生があったと認めることもできない。したがって、本件においては、Bが従事した業務の遂行に伴いBに生じた精神的・肉体的な負荷が、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の発症をもたらしたと認められるか、業務の遂行によりBが有していた基礎疾患等をその自然的経過を超えて増悪させ発症に至ったと認められるか否かを、個々の業務との関連において具体的に検討する。
1 Bが従事していた業務全般
(一) Bは、昭和四一年一月に訴外会社に煉瓦工として雇用され、以後、各種工業炉の築造、炉修作業、煉瓦積み作業等を行ってきたものであるが、昭和六三年一月以降のBの稼働状況を見ると、全般的に休暇が少なく、宿泊を伴う出張が多いことが挙げられる。しかし他方、Bは、夜勤を伴う業務は一切なく、残業も、訴外会社から支給された時間外手当から推認すると、残業時間が四〇時間を超えているのは、昭和六三年一月、五月及び八月のみであり、それ以外の月はそれぼど多いとはいえない。
(二) 宿泊を伴う出張は、自宅から現場に向かうことに比べ、一般的に拘束感を伴うということはできるが、訴外会社での宿泊を伴う出張義務は、最初の一日は移動日に充て、二日目は安全教育を受けた上、作業についての段取りを行うなどして終わり、実際に作業を行うのは三日目からである。また、Bが所属する工事課の場合、出張の際に通常と異なる内容の作業を行うわけではないから、業務の内容において特に負担が増加したと認めることはできない。加えて、Bは、出張の前日、訴外会社の倉庫に出向き、出張先で使用する工具などを自動車に積み込む等の準備をすることが多く、この作業自体は午前中の三〇分ないし二時間程度であるが、一日出勤したものとして計算されていたのであるから、宿泊を伴う出張によるBの負担が過重なものであったということはできない。
(三) なお、控訴人は、Bが担当する業務中、五、六人が一〇分交替で作業を行わざるを得ないなど高温環境下の作業である炉修作業の負担が大きい旨を主張する。確かに、炉を止めてから一日ないし二日経過しても、最初に炉を壊す時点では釜の中がまだ相当高温の状態にあることが認められる。しかしながら、現実の作業は、数人がグループに分かれ、温度の高さに応じて概ね五分ないし一〇分交替で中に入り、炉を壊すというものであるから、高温下の作業が継続するわけではないし、遅くとも新しい煉瓦を積む作業に入る時点までには、炉の温度も下がるであろうから、最後まで高温下の作業が続くことはないと考えられる。そうすると、炉修作業は、必ずしも高温下の作業が継続するものではないと解すべきであるから、控訴人が主張するほどBの身体に対する負担が大きいということはできない。
また、控訴人は、炉修作業を行う現場は八戸等東北地方や臨海地方が多く、厳寒地での作業が多かったことから、高熱の釜の中と外気との温度差が大きく、非常な肉体的負担になった旨を主張するが、これを裏付ける的確な証拠を見いだすことはできない。
(四) 以上のように見てくると、Bは、休暇が少なく、業務による疲労を十分回復することができるような状態であったとは言い難いものの、夜勤はなく、残業もそれほど多いというわけではないから、全体的に業務による拘束が長時間にわたると解することはできない。また、宿泊を伴う出張は多いものの、それがBにとって精神的・肉体的に大きな負担になっていたと認めることはできないし、業務の内容も、高温下の作業を伴う炉修作業に従事することはあるが、高温下の作業がそれほど長い時間継続することはない。したがって、Bが従事していた業務全体を検討すると、休暇が少ないことを除けば、精神的・肉体的な負荷が過重であったということはできない。
2 昭和六三年一二月から平成元年一月二四日までの業務
(一) この間のBの稼働状況は、別紙3のとおりであり、一二月中の休暇は、二二日と二三日の二日のみで、一月二四日までの休暇は元日と一三日の二日のみであり、依然として休暇が少ない。
しかし、ここでも夜勤はなく、残業の時間も、一二月が二三時間、一月も三〇時間(ただし、三一日まで)と、それほど多いものではない。なお、一月の残業手当が三〇時間にもなったのは、訴外会社がBの希望を容れ、第一セメント川崎工場での勤務につき、昼間の作業であるにもかかわらず、手当が二倍になる夜勤の扱いとしたからであること及び一月一五日から二七日までのX電線豊浦工場での出張作業において、訴外会社が実際の拘束時間より多い時間外手当を付けていたことによるものであることは、既に述べたとおりである。
加えて、一月のBの勤務時間を具体的に見ると、二日から一二日までの第一セメント川崎工場は、昼休みと休憩時間を含め午前八時から午後六時までの作業であり、一五日から二四日までのX電線豊浦工場は、一五日が移動日、一六日が段取りと安全教育のみであり、一七日から二四日は、午前八時三〇分から午後四時三〇分まで(昼休みと休憩時間を含む。)の作業であるから、特に勤務時間が長いということはできない。
(二) Bは、一二月三日から九日までY川崎工場で、二〇日にZ製鋼で、一月二日から一二日まで第一セメント川崎工場で、炉修作業を行っている。控訴人は、炉修作業は高熱下の作業であり、Bに非常に大きな肉体的負担を与えたと主張するが、この点については、前記1(三)で判示したとおりであり、炉修作業による精神的・肉体的な負荷が過重であったということはできない。
また、Bは、宿泊を伴う出張の前日である一二月一二日と一月一四日は、出張の際に使用する工具等を自動車に乗せるなど出張の準備のため、三〇分ないし二時間程度、訴外会社の倉庫に出向いたにすぎない。そして、宿泊を伴う出張は、一二月が一四日(土浦、八戸への出張)、一月二四日までが一〇日(日立への出張)であるが、前記(一)のとおり、一日目は移動日、二日目は段取りと安全教育を受けるのみであったし、三日目以降の作業も、日常的に行っているものに比べて特に負担が大きいと認めることはできないから、宿泊を伴う出張による精神的・肉体的な負荷が過重であったということもできない。
(三) これに対し、控訴人は、Bの発症直前の突発的出来事として、一月一五日から二七日までのX電線豊浦工場の出張作業は、Bが責任者であり、その受注金額は訴外会社の年間の売上の約三分の一を占めることから、会社の命運を左右しかねない、Bにとってかつて経験したこともないほどの責任とプレッシヤーのかかる仕事であり、納期を厳格に決められ、訴外会社からも早期に仕上げるようせかされていたこと、しかし、部下が思うように働いてくれず、予定していた作業が一月末ころまでできなくなったため、訴外会社ともトラブルを起こし、限りなく大きな精神的負荷(ストレス)を受けていたこと、このことは、Bが一月二七日の夜帰宅した際、「赤字を出せばクビだ。」などと言って暴れたことからも明らかであると主張する。
確かに、X電線豊浦工場の作業は、訴外会社にとって金額的に大きなものであり(ただし、これが訴外会社の年間の売上の三分の一を占めるほど大きいものであることを裏付ける的確な証拠はない。)、現場の責任者であるBにとって、その工期を間に合わせることが精神的負担になっていたであろうことは推測できるし、部下のミスで工期が遅れるおそれが生じ、そのことにつき訴外会社の上司から苦情を言われたこともあって、飲酒の上激しく泥酔し、帰宅後に「赤字を出せばクビだ。」などと言って暴れたものである。しかし、Bが、右の作業及びその遅れについて、どれだけ負担感と緊張感を抱いていたかを裏付ける的確な証拠はなく、そのことが本件疾病の発症又は増悪にどれだけ影響を及ぼしたかは明らかでないといわざるを得ない。少なくとも、訴外会社の経営に関与しておらず、工事課の主任として作業現場の責任者的な役割しか有していないBが、X電線豊浦工場との取引の成否について、訴外会社から大きな責任を負わされていたとは考え難い。加えて、控訴人は、一月二七日にBが泥酔して暴れたことをもって限りなく大きな精神的負荷を受けていたと主張するが、Bは、一二月三一日にも、訴外会社に夜勤を申し出てトラブルになった際、多量に飲酒し、帰宅後暴れていたことからすると、一月二七日の泥酔したBの行動をもって、X電線豊浦工場の作業による精神的な負荷がこれまでにないほど過重であったことを推認することはできない。結局、右の作業について、工期に間に合わせることがBの精神的負担になっていたであろうことまでは認めることができるものの、それによる精神的な負荷が、Bの基礎疾患等をその自然的経過を超えて増悪させたとまで解することは困難であるというほかない。
3 平成元年一月二五日から二八日までの業務等
(一) Bは、一月二五日は、午前八時三〇分から昼ころまで出張先のX電線豊浦工場でシャフト炉の煉瓦積み作業に従事したが、午後は自動車で訴外会社に戻り、遅くとも午後七時三〇分までに帰宅し、翌二六日は、東邦炉材の担当者との打ち合わせを終え、午後四時には帰宅し、翌二七日は、午前中車でX電線豊浦工場に赴いたが、仕事が中止になって訴外会社に戻り、飲酒泥酔の上帰宅した。そして、翌二八日は、頭痛がするなどと言って休みを取った。
(二) Bは、この間、格別負荷の大きい作業に従事してはいないし、勤務時間も比較的短く、早めに就寝しているから、睡眠時間も短いとはいえない。
ただし、一月二七日は、泥酔して帰宅し、物を投げるなどして暴れ、厳寒期でありながら下着姿で一時間も戸外に出ていたものであり、このことがBの身体にどのような影響を与えたかは明らかではないが、翌二八日の頭痛、嘔吐等の体調不良は、多量の飲酒による二日酔い、あるいは、厳寒期に一時間も下着姿で戸外にいたことによる風邪の症状である可能性を否定することができない。
ところで、控訴人は、平成元年一月二八日の朝、Bに見られた頭痛、嘔吐等は、くも膜下出血の警告症状(小出血)が現れたものであると主張し、元岡医師は、同日のBの頭痛、嘔吐はいずれもくも膜下出血の警告症状である小出血による症状だった可能性があると述べている。確かに、その後の一月三一日の目がよく見えない、首が凝っているなどのBの訴えと関連づけるならば、右は小出血の症状であると見ることもできなくはないが、Bは、右の異常を訴えた時点で医師の診察を全く受けておらず、したがって、元岡医師は、当時の客観的な資料がないことから、控訴人の後日の説明のみに依拠し、小出血の症状であった可能性があることを指摘しているにすぎない。また、Bは、一月三一日に帰宅するまで、特に、一月二九日及び三〇日の二日間は、控訴人に同様の症状を訴えていないし、勤務で一緒だった同僚の高口信市や井上光四郎に対しては、全く体調の不良を訴えておらず、右両名もBの体調の異常に気づいていないが、一月二八日の症状が小出血によるものであったとすれば、この間にBに同様の症状ないし異常が見られるのではないかとの疑いを払拭することができない。加えて、前記のとおり、Bが一月二八日に訴えた頭痛、嘔吐などの症状は、前日、泥酔するほど飲酒したことによる二日酔い、あるいは、厳寒期に下着姿で一時間も戸外に出ていたことによる風邪の症状である可能性も否定することはできないのである。
以上の点を合わせ考慮すると、元岡医師の証言等により、Bの一月二八日の症状は、くも膜下出血の警告症状である小出血であったと認定することは困難であるというほかない。
なお、仮に一月二八日のBの症状が、くも膜下出血の警告症状であったとすれば、業務起因性との関係でBは治療の機会を喪失したか否かが問題になる。したがって、念のため、後記四において、Bの症状が警告症状であったと仮定した上で、業務起因性の有無を検討することとする。
(三) 以上のとおり、Bが、一月二四日から二八日までの間、業務による過重な肉体的・精神的負荷を受けていたとまで認めることはできず、むしろ、業務と無関係な点、すなわち、一月二七日に泥酔の上、下着姿で戸外に一時間も出ていたことが、本件疾病の発症・増悪に何らかの影響を与えたのではないかと強く疑われるところである。
4 平成元年一月二九日から二月一日までの業務等
(一) Bは、一月二九日から死亡の前日まで、すなわち、X電線豊浦工場での仕事を再開するまでの間、訴外会社に頼まれ、千葉県市川市大町所在の大町公園において、花壇の煉瓦積みの作業に従事した。Bは、本件現場において、世話役として、作業内容を現場の作業員に指示するほか、自ら煉瓦積み作業を行っていたものであり、この煉瓦積み作業は、長さ二一センチメートル、幅一〇センチメートル、厚さ六センチメートル、重さ約二・四キログラムの煉瓦を一輪車を使って自分の持ち場に運び、セメントを付けながら一つずつ積むというものであった。
いずれも、午前七時に訴外会社の寮を車で出発し、午前八時から作業を開始し、午後三時ころには作業を終え、午後五時三〇分ころには訴外会社に戻っており、勤務に拘束される時間は一〇時間程度であるが、実際の作業時間は昼休みや休憩時間を除くと六時間足らずであり、時間的に負担が大きい作業ということはできない。また、この間、Bの睡眠時間が不足していたとは思われない。
なお、前記3(二)のとおり、この四日間、Bと一緒に作業をした同僚の高口信市と井上光四郎は、本件疾病の発症によりBが倒れるまで、Bから体調不良の訴えを聞いておらず、Bの異常には全く気づかなかった。
(二) 控訴人は、この花壇の煉瓦積みの作業は、相当な量の煉瓦を一輪車で移動したり、四〇キログラムの重いセメント袋を移動したりするから、かなりの力を要する仕事であり、立ったり座ったり前屈みになったりという動作を反復する作業であるから、頭蓋内圧を変動させるものであること、加えて、本件現場は、山の上にあり、池の側で、かつ、吹き曝しの場所であるから、厳寒期の作業としては、Bの血圧を上昇させたものと考えられることなどを主張する。
確かに、花壇の煉瓦積み作業は、煉瓦を一輸車で移動させ、時には重いセメント袋(もっとも、これが四〇キログラムもの重さを有することを裏付ける的確な証拠はない。)を移動することもあるであろうから、力仕事であるといってよいし、立ったり座ったり前屈みになったりする動作は、一般的に頭蓋内圧を変動させるものであるということができる。しかし、Bは、昭和四一年から二〇年以上、訴外会社で煉瓦積みの作業に関与してきたのであるから、本件の花壇の煉瓦積みと同種の作業を行ってきたといってよく、そうすると、現場において相当の力仕事をしてきたものであるし、立ったり座ったりの動作を反復する作業にはかなり慣れていたと認めることができる。そうすると、この花壇の煉瓦積み作業は、これまでBが従事してきた業務に比べ、精神的・肉体的な負荷が大きいといういうことはできないのであって、そのことは、Bの同僚の井上光四郎が、「この仕事はそんなに難しい仕事ではない」(乙一二)と述べ、また、本件現場における現場監督であった小杉恒成が、「仕事はレンガを一段積むだけの仕事でありそれほど気を使う仕事ではありません」(乙一八)と述べていることからも明らかである。
また、本件現場は、林の中にあるが、冬場で吹き曝しの場所にあり、体感温度はかなり低いと思われるから、そこでの作業が血圧を上昇させる可能性があることは否定できないが、Bは、作業着の上下にヤッケを着込み、頭には帽子をかぶるなど、寒さに対応できるよう十分な措置を採っていたものである。また、証拠(乙二二の2、二三)によれば、一月二九日から三一日まで本件現場を含む地域の天候は晴れであったこと、一月二九日の午前八時から九時にかけては気温が二・三度から三・六度と寒く、この日は作業中の最高気温も九・五度までしか上がらなかったが、三〇日及び三一日は概ねこれよりも高く、午後は一〇度を超え、三一日には最高気温が一四・五度にまで達したこと、風速も、二九日は午前一〇時の毎秒五・五メートル(平均)が最も強く、三〇日は午後になってから風速が強まったものの、作業中は午後二時の毎秒六メートル(平均)が最も強く、三一日は毎秒二メートル(平均)が最も強かったことが認められる。このように、気温が低い時間帯はあったものの、Bは防寒着を着用しており、天候は晴れで、風速もそれほど強くはなかったことを考慮すると、このような環境下での煉瓦積み作業により、Bが受けた精神的・肉体的な負荷が過重であったとまでいうことはできない。
(三) Bが死亡した当日も、作業の内容は同じであり、当日の気温は、午前一〇時の時点で四・九度とかなり低く、天候も曇りから次第に小雨に変わっていったが、雨量は一時間に〇・五ミリメートルと少なく、風速は弱く、午前一〇時の時点で最高が毎秒三・七メートル、平均で毎秒〇・九メートルであった。これらの作業内容及び作業環境に照らすと、この日の花壇の煉瓦積み作業が、Bに対し精神的・肉体的に過重な負荷を与えたとまで推認することは困難であるから、これにより本件疾病を発症するに至らしめた、あるいは、Bが有していた基礎疾患等をその自然的経過を超えて増悪させ発症に至らしめたと解することはできない。
なお、船橋市立医療センターの脳神経外科医師金弘は、Bの発症当日が二月の厳冬期、かつ、雨天の寒冷環境であったこと、作業が煉瓦積みというしゃがみ込んだ状態と立ち上がる動作を繰り返す、いわば排便時と同様頭蓋内圧を変動させやすいものであったことなどから、作業内容、作業環境が脳動脈瘤破裂の大きな要因であったことが推定されるとの意見を述べ、元岡医師も、概ね同旨の意見を述べている。しかし、両医師の作業内容に対する認識は、Bが長年同種の煉瓦積み作業に従事してきたことを十分考慮に入れていないものであるし、発症当日の作業環境についての認識も、具体的な気温、雨量、風速等を具体的に検討することなく一般論として述べているにすぎないものであるから、右の意見を全面的に採用することはできないというべきである。
5 本件疾病と業務との間の相当因果関係
控訴人は、Bは、極めて休日が少なく、しかも、高熱作業と宿泊を伴う長期出張の多い業務に従事したため、徐々に蓄積した疲労を回復することができなくなり、このような中で、昭和六三年一二月から平成元年一月にかけて、高熱作業に従事し、平成元年一月一五日から二七日まで出張したX電線豊浦工場の築炉新設工事は、受注金額も高額で会社の命運を左右しかねない、Bにとってかつて経験したこともないほどの責任とプレッシャーのかかる仕事であり、納期を厳格に決められ、訴外会社からも早期に仕上げるようせかされていたが、部下が思うように働いてくれず、訴外会社の上司ともトラブルを起こし、相当な精神的負荷(ストレス)を受けていたため、その翌日である一月二八日、くも膜下出血の警告症状(小出血)を発症し、その後も、二月の寒冷下に寒風吹きすさぶ屋外で、普段の業務に比べ肉体的負荷が大きく、立ったりしゃがんだりの姿勢を繰り返す頭蓋内圧の変動の多い花壇の煉瓦積みの作業に従事させられたことにより、本件疾病を発症するに至ったのであるから、本件疾病の発症が業務に起因することは明らかであると主張する。
確かに、Bは、休暇が少ないため疲労を十分回復しないまま訴外会社の業務に従事し続けた可能性があること、X電線豊浦工場における築炉新設工事の現場責任者として、工期に間に合わせることにつきプレッシャーを感じていたこと、冬場の戸外における花壇の煉瓦積み作業は、Bの血圧の変動に影響を与えたであろうことは否定できないが、これまで説示してきたように、Bに対する業務による拘束がそれほど長時間にわたるということはできないし、訴外会社の業務の内容自体、精神的・肉体的に過重な負荷を与えるものではなく、昭和六三年一二月から平成元年一月にかけての業務も、第一セメント川崎工場、X電線豊浦工場及び大町公園の花壇の煉瓦積み作業を含めて、従前の業務に比べ、質的にも量的にも負荷の大きいものであったと認めることはできない。また、X電線豊浦工場における築炉新設工事についての精神的負担も、Bにとってこれまでにないほど過重な負荷であったとまで認めるに足る証拠はない。したがって、Bが業務により受けたであろう精神的・肉体的な負荷は、本件疾病を発症させ、あるいは、Bが有していた基礎疾患等をその自然的経過を超えて増悪させ発症に至らしめたということができるほど過重なものであったと解することはできない。
以上のように、控訴人の右の主張を採用することはできず、Bの本件疾病の発症と業務との間に相当因果関係があるということはできないから、控訴人の請求は理由がない。
四 Bの治療機会の喪失と業務に内在する危険の現実化
1 控訴人は、平成元年一月二八日の時点でBが訴えていた頭痛、嘔吐等の症状は、脳動脈瘤からの小出血(マイナーリーク)によるものであり、くも膜下出血の警告症状であったと主張するが、そのように認定することが困難であることは、前記三3(二)で判示したとおりである。しかし、仮にこれがくも膜下出血の警告症状であり、Bも体調不良を自覚していたにもかかわらず、訴外会社の業務を休んで安静を保ち診察治療を受けることが困難であって、引き続き業務に従事せざるを得ないような客観的な状況にあった、すなわち、業務の不可避性によって治療の機会を喪失したとすれば、それ自体が業務に内在する危険が現実化したものと認め、業務起因性を肯定するのが相当であると解される。
そこで、念のため、一月二八日の時点のBの症状が、脳動脈瘤からの小出血であったと仮定した上、治療機会の喪失の有無について検討する。
2 控訴人は、Bは、小出血を発症した一月二八日、「午前中に社長の奥さんから電話があって、市川の赤煉瓦積みに行ってくれと言われた。」「Bちゃんでなければダメと言われた。」などの事情から、体調不良であるにもかかわらず、一月二九日からの花壇の煉瓦積み作業に従事したものであり、発症前日の一月三一日及び発症当日の朝、控訴人から休んで病院に行こうと言われたにもかかわらず、業務命令により仕事を優先したものであり、煉瓦積みの作業を行わずに適切な治療を受けていれば、健康を回復していた蓋然性は極めて高かったところ、このような体調不良状態でも業務を継続せざるを得なかったことが、本件疾病の発症につながってしまったと主張する。
確かに、Bは、責任感が強く、訴外会社から仕事を依頼されれば、断りきれずそれに応じて業務に従事していたようである。しかし、Bは、一月二八日は体調の不良を十分自覚しており、そのために休みを取り自宅で休養していたのであるから、その日のうちに医師の診察治療を受けることは十分可能だったということができる。また、証拠(甲三〇ないし三二、乙一八)によれば、本件現場の作業の正式名称は、大町公園(植物園)整備(1) 工事であり、株式会社長恒組が市川市から、工事期間は昭和六三年九月二二日から平成元年三月二〇日までという条件で請け負ったものであること、右長恒組は、本件現場の花壇の周囲の煉瓦積みの工事部分を有限会社吉川商会に請け負わせ、これを訴外会社が右吉川商会から請け負ったものであることが認められる。このように、大町公園(植物園)整備(1) 工事の工期は三月二〇日までであったから、早急に花壇の煉瓦積み工事を完成させなければならないような客観的状況にはなかったことは明らかである。加えて、これまで説示したように、訴外会社は、X電線豊浦工場の仕事が中断を余儀なくされ、二月初めにそれを再開するまでのつなぎとして、右の煉瓦積みの作業を請け負ったにすぎないのであるから、Bが体調不良を自覚したとすれば、一月二九日から二月一日までの間に休みを取って医師の診察治療を受けることは十分に可能であったというべきである。しかるに、Bは、体調不良を自覚しながらも、一月二八日に医師の診察治療を受けようとしなかったばかりか、一月三一日及び発症当日の二月一日の朝、控訴人から医師の診察治療を受けることを強く勧められたにもかかわらず、これに応じず、本件現場に到着して作業を開始したのであるから、自らの責任により医師の適切な治療を受けなかったものというほかない。
そうすると、Bは、体調不良を自覚したにもかかわらず、訴外会社の業務を休んで安静を保ち、医師の診察治療を受けることが困難であって、引き続き業務に従事せざるを得ないような客観的状況にあったということはできないから、業務の不可避性により治療の機会を喪失し、これにより業務に内在する危険が現実化した場合には当たらないというべきである。
以上のように、本件疾病の発症は、治療機会の喪失という観点からしても、業務に内在する危険が現実化したものと解することはできないから、控訴人の本訴請求は理由がない。
五 結論
よって、結論において同旨の原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六七条一項、六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 塩崎勤 裁判官 小林正 裁判官 萩原秀紀)
別紙1<省略>
別紙2
日付
業務内容
1月1日
(金)
休み
2日
(土)
第一セメントで作業
3日
(日)
日立電線(土浦市)出張
4日
(月)
〃
5日
(火)
〃
6日
(水)
第一セメントで作業
7日
(木)
〃
8日
(金)
〃
9日
(土)
〃
10日
(日)
〃
11日
(月)
〃
12日
(火)
〃
13日
(水)
〃
14日
(木)
〃
15日
(金)
休み
16日
(土)
〃
17日
(日)
〃
18日
(月)
富士ファイバー出張
19日
(火)
〃
20日
(水)
〃
21日
(木)
〃
22日
(金)
〃
23日
(土)
〃
24日
(日)
〃
25日
(月)
〃
26日
(火)
〃
27日
(水)
〃
28日
(木)
〃
29日
(金)
〃
30日
(土)
〃
31日
(日)
〃
2月1日
(月)
〃
2日
(火)
〃
3日
(水)
〃
4日
(木)
〃
5日
(金)
〃
6日
(土)
休み
7日
(日)
〃
8日
(月)
出張
9日
(火)
城南製鋼(川口市)で作業
10日
(水)
日東化学(八戸市)出張
11日
(木)
〃
12日
(金)
〃
13日
(土)
〃
14日
(日)
〃
15日
(月)
〃
16日
(火)
〃
17日
(水)
〃
18日
(木)
〃
19日
(金)
〃
20日
(土)
休み
21日
(日)
〃
22日
(月)
〃
23日
(火)
〃
24日
(水)
第一セメントで作業
25日
(木)
休み
26日
(金)
保谷市で作業
27日
(土)
〃
28日
(日)
〃
29日
(月)
東洋ガラスの作業
3月1日
(火)
休み
2日
(水)
〃
3日
(木)
出勤
4日
(金)
休み
5日
(土)
〃
6日
(日)
出勤
7日
(月)
〃
8日
(火)
〃
9日
(水)
〃
10日
(木)
〃
11日
(金)
〃
12日
(土)
〃
13日
(日)
〃
14日
(月)
〃
15日
(火)
〃
16日
(水)
〃
17日
(木)
休み
18日
(金)
出勤
19日
(土)
〃
20日
(日)
〃
21日
(月)
休み
22日
(火)
出勤
23日
(水)
〃
24日
(木)
〃
25日
(金)
〃
26日
(土)
〃
27日
(日)
〃
28日
(月)
〃
29日
(火)
〃
30日
(水)
〃
31日
(木)
休み
4月1日
(金)
出勤
2日
(土)
東部大和電気の作業
3日
(日)
〃
4日
(月)
〃
5日
(火)
城南製鋼で作業
6日
(水)
東部大和電気での作業
7日
(木)
出勤
8日
(金)
第一セメントの作業
9日
(土)
出勤
10日
(日)
〃
11日
(月)
〃
12日
(火)
〃
13日
(水)
〃
14日
(木)
〃
15日
(金)
〃
16日
(土)
川鉄鋼板(松戸市)で作業
17日
(日)
〃
18日
(月)
〃
19日
(火)
〃
20日
(水)
出勤
21日
(木)
日立電線で作業(土浦市)
22日
(金)
休み
23日
(土)
日立電線出張(土浦市)
24日
(日)
日立電線出張(土浦市)、鋼管亜鉛(市川市)
25日
(月)
鋼管亜鉛(市川市)
26日
(火)
第一セメント、城南製鋼で作業
27日
(水)
第一セメントの作業
28日
(木)
鋼管亜鉛(市川市)で作業
29日
(金)
東芝
30日
(土)
〃
5月1日
(日)
東芝府中(府中市)
2日
(月)
〃
3日
(火)
〃
4日
(水)
東芝府中、第一セメントの作業
5日
(木)
第一セメントの作業
6日
(金)
〃
7日
(土)
〃
8日
(日)
〃
9日
(月)
〃
10日
(火)
〃
11日
(水)
〃
12日
(木)
〃
13日
(金)
休み
14日
(土)
〃
15日
(日)
日本板硝子の作業(出張)
16日
(月)
〃
17日
(火)
〃
18日
(水)
〃
19日
(木)
〃
20日
(金)
〃
21日
(土)
〃
22日
(日)
〃
23日
(月)
〃
24日
(火)
〃
25日
(水)
〃
26日
(木)
〃
27日
(金)
〃
28日
(土)
〃
29日
(日)
〃
30日
(月)
〃
31日
(火)
休み
6月1日
(水)
出勤
2日
(木)
向山製鉄(久喜市)で作業
3日
(金)
〃
4日
(土)
出勤
5日
(日)
〃
6日
(月)
〃
7日
(火)
新潟へ出張
8日
(水)
〃
9日
(木)
〃
10日
(金)
〃
11日
(土)
〃
12日
(日)
〃
13日
(月)
〃
14日
(火)
〃
15日
(水)
松戸市で作業
16日
(木)
休み
17日
(金)
松戸市で作業
18日
(土)
〃
19日
(日)
休み
20日
(月)
作業
21日
(火)
城南製鋼の作業
22日
(水)
第一セメントの作業
23日
(木)
休み
24日
(金)
〃
25日
(土)
向山製鉄(久喜市)
26日
(日)
〃
27日
(月)
〃
28日
(火)
城南製鋼の作業
29日
(水)
向山製鉄(久喜市)
30日
(木)
〃
7月1日
(金)
出勤
2日
(土)
向山製鉄(久喜市)
3日
(日)
〃
4日
(月)
〃
5日
(火)
〃
6日
(水)
〃
7日
(木)
〃
8日
(金)
〃
9日
(土)
休み
10日
(日)
〃
11日
(月)
〃
12日
(火)
〃
13日
(水)
〃
14日
(木)
〃
15日
(金)
〃
16日
(土)
〃
17日
(日)
〃
18日
(月)
出勤
19日
(火)
城南製鋼の作業
20日
(水)
出勤
21日
(木)
久喜市で作業
22日
(金)
〃
23日
(土)
出勤
24日
(日)
〃
25日
(月)
東洋ガラスの作業
26日
(火)
出勤
27日
(水)
第一セメント
28日
(木)
〃
29日
(金)
出勤
30日
(土)
〃
31日
(日)
〃
8月1日
(月)
休み
2日
(火)
出勤
3日
(水)
〃
4日
(木)
新潟へ出張
5日
(金)
〃
6日
(土)
〃
7日
(日)
〃
8日
(月)
〃
9日
(火)
〃
10日
(水)
〃
11日
(木)
〃
12日
(金)
出勤
13日
(土)
〃
14日
(日)
〃
15日
(月)
〃
16日
(火)
休み
17日
(水)
〃
18日
(木)
〃
19日
(金)
〃
20日
(土)
第一セメントの作業
21日
(日)
〃
22日
(月)
〃
23日
(火)
出勤
24日
(水)
〃
25日
(木)
日立電線(土浦市)で出張作業
26日
(金)
〃
27日
(土)
〃
28日
(日)
土浦市で出張作業
29日
(月)
〃
30日
(火)
〃
31日
(水)
休み
9月1日
(木)
城南製鋼の作業
2日
(金)
〃
3日
(土)
出勤
4日
(日)
〃
5日
(月)
休み
6日
(火)
出勤
7日
(水)
〃
8日
(木)
三田製作所で作業
9日
(金)
〃
10日
(土)
〃
11日
(日)
〃
12日
(月)
休み
13日
(火)
城南製鋼で作業
14日
(水)
川崎重工業で作業
15日
(木)
〃
16日
(金)
〃
17日
(土)
〃
18日
(日)
〃
19日
(月)
土浦市で出張作業
20日
(火)
〃
21日
(水)
〃
22日
(木)
〃
23日
(金)
三ツ矢建材で作業
24日
(土)
〃
25日
(日)
休み
26日
(月)
東邦炉材で作業
27日
(火)
城南製鋼で作業
28日
(水)
向山製鉄で作業
29日
(木)
〃
30日
(金)
〃
10月1日
(土)
〃
2日
(日)
出勤
3日
(月)
〃
4日
(火)
〃
5日
(水)
〃
6日
(木)
〃
7日
(金)
〃
8日
(土)
〃
9日
(日)
〃
10日
(月)
〃
11日
(火)
〃
12日
(水)
休み
13日
(木)
出勤
14日
(金)
東洋ガラスの作業
15日
(土)
八戸に出張
16日
(日)
〃
17日
(月)
〃
18日
(火)
〃
19日
(水)
〃
20日
(木)
〃
21日
(金)
〃
22日
(土)
〃
23日
(日)
〃
24日
(月)
〃
25日
(火)
〃
26日
(水)
〃
27日
(木)
〃
28日
(金)
出勤
29日
(土)
〃
30日
(日)
休み
31日
(月)
東洋ガラスの作業
11月1日
(火)
〃
2日
(水)
〃
3日
(木)
〃
4日
(金)
出勤
5日
(土)
〃
6日
(日)
〃
7日
(月)
〃
8日
(火)
城南製鋼の作業
9日
(水)
〃
10日
(木)
〃
11日
(金)
休み
12日
(土)
出勤
13日
(日)
東洋ガラスの作業
14日
(月)
出勤
15日
(火)
城南製鋼の作業
16日
(水)
〃
17日
(木)
〃
18日
(金)
〃
19日
(土)
〃
20日
(日)
〃
21日
(月)
土浦市で出張作業
22日
(火)
〃
23日
(水)
〃
24日
(木)
〃
25日
(金)
〃
26日
(土)
〃
27日
(日)
〃
28日
(月)
向山製鉄で作業
29日
(火)
出勤
30日
(水)
〃
別紙3
日付
業務内容
12月1日
(木)
出勤
2日
(金)
〃
3日
(土)
東洋ガラス川崎工場において炉修作業
4日
(日)
〃
5日
(月)
〃
6日
(火)
〃
7日
(水)
〃
8日
(木)
〃
9日
(金)
〃
10日
(土)
日立電線土浦工場に出張
11日
(日)
〃
12日
(月)
出勤
13日
(火)
太平洋金属(八戸市)に出張
14日
(水)
〃
15日
(木)
〃
16日
(金)
〃
17日
(土)
〃
18日
(日)
〃
19日
(月)
横浜で赤煉瓦積み作業
20日
(火)
城南製鋼で炉修作業
21日
(水)
横浜で赤煉瓦積み作業
22日
(木)
休み(健康診断受診)
23日
(金)
休み
24日
(土)
出勤
25日
(日)
日立電線土浦工場に出張
26日
(月)
〃
27日
(火)
〃
28日
(水)
〃
29日
(木)
〃
30日
(金)
〃
31日
(土)
東洋ガラス川崎工場応援
1月1日
(日)
休み
2日
(月)
第一セメント川崎工場で炉修作業
3日
(火)
〃
4日
(水)
〃
5日
(木)
〃
6日
(金)
〃
7日
(土)
〃
8日
(日)
〃
9日
(月)
〃
10日
(火)
〃
11日
(水)
〃
12日
(木)
〃
13日
(金)
休み
14日
(土)
出勤
15日
(日)
日立電線豊浦工場(日立市)に出張
16日
(月)
〃
17日
(火)
〃
18日
(水)
〃
19日
(木)
〃
20日
(金)
〃
21日
(土)
〃
22日
(日)
〃
23日
(月)
〃
24日
(火)
〃